キャリアカウンセラーを目指す乳がんサバイバーのブログ

会社員です。キャリアカウンセラーを夢見ながら、家庭菜園をしたり、のんびり暮らしています。もともとはバリキャリを気取って、仕事だけに打ち込んでいましたが、2018年の初めに乳がんの診断を受けました。病気のこと、仕事のこと、旅行のこと、夢のことを書き綴ります。

私、乳がんになっちゃった①〜母親への報告と感謝〜

病院で告知を受けた後、すぐに母親にLINEをしました 。再検査になったことすら母親に伝えていなかったので、かなり驚いたと思います。

「分かった。ちゃんと再検査行って、偉かったね。明日、実家に帰っ ておいで」という言葉だけが、返ってきました。

翌日(土曜日)実家に帰り、母親の顔を見た途端、涙が止まりませんでした。子供のように泣きました。

母は、「ごめんね。一人で不安だったでしょう」と、ずっと頭を撫でてくれました。

それからずっと、検査の日も入院の日も一緒に来てくれました。まあまあ高齢なので、体力的にも気持ちの面も、決して楽ではなかったと思います。本当に感謝です。

うちの母親は、すごく天真爛漫な性格の人なのですが、常にその明るさを発揮していました。病院では、常に数独をやっていて、すごく捗ると喜んでいたり、置いてある週刊誌を「無料だから」と、読み漁ったり・・・。

診察室で先生から、「お母さん、どう思いました(家族がガンになったことに対して)と聞かれ、「ガーンって感じです」と答えた時は、私もビックリしましたが(笑)

そんな明るさに私も救われていたのですが、当然のことながら、いつも明るいわけではありませんでした。

好きだった健康系の番組も、私の前ではまったく見なくなりました。

朝起きてきて、目が真っ赤に腫れていることもありました。

私が「がんの人の書いたブログでさぁ」と話をした時、「他人の話は聞きたくない」と涙ぐんでしまつまったこともありました。

入院時に受けた遺伝カウンセリングでは、母親の病歴をカウンセラーさんがメモする度、「自分の遺伝子のせいで、ガンになったんじゃないか?」と、落ち込んでいくのが分かりました。違うんですけどね。

ガンになって、本当に辛い時もありましたが、自分のことで母親が泣いたり、苦しんでいるのを見るのも、とても辛かったです。健康に産んでくれたのに、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

今、母親のためにも心がけているのは、悲しまないこと。私が悲しむと、何故かその倍以上に悲しんでしまうので、せめて悲しまないようにしています。

他人であれば、悲しんでいない振りが通用しますが、そこは母親なので、振りではバレてしまいます。

本当に悲しまないで、本当に楽しく前向きに暮らすのが、母親への恩返しかなぁなんて思っています。


2018年10月12日 たゆかのたわごと

手術までの道のり④〜入院、手術前日編〜

2018年3月6日の朝、入院をしました。

帰る時には、重い荷物を持つことが出来ないとのことで、旅行用のキャリーバックに、荷物を詰めました。私のキャリーバックが赤色なので、ちょっと浮かれてる感じ。

ですが、入院中はこの赤いキャリーバックが、無機質な病室に、彩りを添えてくれた気がします。

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1つ言えることは、入院した日=手術前日は、けっこう忙しい(笑) おかげで、色々考えなくてすんだのですが、かなり疲れました。

【手術前日のスケジュール】※覚えているだけ(順不同)
①看護師さんから入院生活の説明と館内案内
②医師からの手術説明、同意書へのサイン
③レントゲン撮影
④エコー→手術に備えて、どこに腫瘍があるか?をサインペンでマーキング
⑤遺伝カウセリング(任意)→祖父母の代までの病歴のヒアリング(乳がんは遺伝要素があると言われているので、その調査)
⑥入浴→しばらく入れないので念入りに
⑦手術当日の流れの説明→前日に下剤を飲んで、それでお通じがなければ、人為的に出しますよ〜とか。行きは徒歩ですよ〜とか。

とにかく、看護師さん達が優しくて、この病院にして良かったなぁと、心から思いました。先生も、ちょこちょこ来て下さって、「今日の夜は寝れんかもしれんけど、明日麻酔で寝れるから大丈夫(笑)」なんて冗談で、和ませてくれました。

友達、家族からの励ましも、とても有り難かったです。

私が逆の立場だったら、「手術前日に連絡したら、迷惑かな?」とか「何て言葉をかけたらいいのか・・・」とか、迷ってしまったと思います。でも、自分のことを思ってくれている言葉であれば、どんな言葉でも嬉しいし、有難いものなんですよね。

21時の消灯後も、なかなか寝つけず、うつらうつらする程度で、朝を迎えました。さあ、いよいよ手術当日です。

 

2018年10月10日 たゆかのたわごと

 

 

 

 

手術までの道のり③〜入院準備編〜

手術にたどり着くまでは、とても長かったのですが、「手術をしましょう」となってからは、とても急でした。

全ての検査が終わって、2週間後には入院、翌日には手術というスケジュールでした。1番大変だったのは、仕事の引き継ぎやら休職中の調整ごとでしたが、「入院に必要なもの」を揃えることも、意外と大変でした。

私が入院時に「あって良かったもの」と、「持っていったけど、使わなかったもの」を、思い出せるだけ、書いていきます。

 

【必需品】※これだけではありません!
☆前開きの下着→病院にも売っていましたが、ちょっとだけ安かったので、ネットで買いました。

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【あって良かったもの】
①トイレ用手拭きペーパー→タオルだと、洗い替えが面倒なので、使ってポイが便利でした。

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②飲料水→冬場だったこともあり、病室がとにかく乾燥してました。とにかく喉が乾くので、1日2リットルペースで飲んでいました。ただし術後は、ペットボトルの蓋が開けられないので、注意が必要です。

③手提げ袋→携帯と財布ですら、両方手に持っての移動はおっくう。全てをまとめられる袋があると、院内をウロウロするのに便利です。

④梅干し→白飯対策。ふりかけ、お茶漬けも持っていましたが、何故か身体が受け付けませんでした。

⑤大量のパジャマ→お風呂に入れないので、せめて毎日着替えたい・・・と、贅沢に使っていました。

⑥前開きの服→半信半疑でしたが、退院時にはまだ腕が上がらないので、被る服はどんなに伸びる素材でも、着ることができません。


【使わなかったもの】
クロスワードの本→術後も検査やら検温で、意外と忙しいのと、何だかんだで疲れるのか、「考えるエネルギー」は、湧いてきませんでした。

❷お笑いのDVD→ナチュラルキラー細胞を育てようと思いましたが、ゲラゲラ笑う体力と気力が、ありませんでした。

❸本→繰り返しになりますが、活字を読むほどの元気がなく。

❹お菓子類→病院のご飯が美味しく食べられたので、お菓子は必要ありませんでした。お菓子を食べなかったから、美味しく食べられたのかもしれません。

 

術後2日目ぐらいから、少しずつ元気になっていったのですが、元気になったら退院なので、「暇つぶしグッズ」は必要なかったなぁと思います。

入院する部屋にもよると思いますが、私は個室だったので、お見舞いでいただいたぬいぐるみ、お守りなんかも持ち込みました。

手術前夜だけでなく、とにかく夜に負けそうになりました。「このまま元気になれなかったらどうしよう」とか・・・どうしても考えてしまうんですよね。

そんな時、自分を待ってくれている人、自分が元気になることを祈ってくれている人がいる、というのは、何よりも励みになりました。


2018年10月9日 たゆかのたわごと

健康診断の憂鬱

私の乳がんが分かったきっかけは、会社の健康診断でした。1年に1度の定期健康診断で、「乳腺腫瘍の疑い」で要精密検査となり、詳しい検査の結果、悪性だと判明しました。

色んなことにズボラな私が、なぜか毎年かかさず健康診断を受診し、ズボラな私がちゃんと再検査をした・・・そんな奇跡が重なって、がんが分かりました。

私が勤めている会社は、毎年秋に定期健康診断があります。そう、ちょうどこの時期。去年も一昨年も、この時期に受診しました。そして今年の健康診断は、なんと明日。

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はあ、なんだかとっても憂鬱なんです。予約をしてから、明日のその日が迫ってくるのが、本当に憂鬱でした。

もちろん、身体に悪いところがあるなら、早めに見つけて対処することが大事です。そして、そのためには健診は必須です。それは、分かっています。

でも、健診を受けて、もしまた身体に悪いところがあったとして、それを知るのが怖いというか。

悪いところがあって、それがほったらかしになることが1番怖い、それは分かっているのですが・・・。

去年の今頃に感じた絶望や恐怖が、トラウマになっているのでしょうか。目に見えない副作用の1つなのかなぁ、なんて思っています。

 

2018年10月8日 たゆかのたわごと

新しい時間の使い方〜家庭菜園〜

 病気になって、私が得たもの。1番は「時間」です。

それまで、ほぼ毎日21時頃まで仕事、その後で飲みに行くこともあり、週末は日付けが変わるまで、帰らないこともしばしば。

乳がんを機に生活が一転し、ほぼ毎日19時には帰宅、22時に就寝。平日も土日も6時に起床。もちろん遊びに行ったり、飲みに行くこともありますが、全盛期の10分の1ぐらいに減りました。

そんな毎日なので、とにかく時間が有り余るんです。ハッキリ言うと、ヒマなんです(笑)

というわけで、始めてみました。家庭菜園。
夏には、トマトやオクラ、青ジソ、ズッキーニ、枝豆などを育てていて、今は秋冬野菜への変革期。

まだまだ実りの秋には程遠いですが、それでも少しずつ育ってくれています。

大根

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ネギ

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ナス

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ゆっくりと、頑張って育つ野菜たちをみていると、なんだか元気をもらえる気がします。

 

2018年10月7日 たゆかのたわごと

手術までの道のり②〜検査、検査また検査の日々〜

がんが発覚したのが1月12日、手術が行われたのが3月7日。その2ヶ月間のことを書きます。

ほとんど病気らしい病気をしたことがない私は、病気というのは発覚したらすぐに入院をして、手術をするものだと思っていました。

ところが、実際にはそこから長い長い「検査の日々」が待っていたわけです。

私の場合は、すでに細胞診をしていたので、「がん」であるか否かことを調べる検査はなく、「どれぐらい?」「どのような?」「どこに?」という検査をしました。

CT、MRI、全身レントゲン、骨シンチ・・・。どれも初めての検査でした。何のための検査か?結果によってどうなるのか?といったことを、一切調べなかったので、一つ一つの検査を、ある意味で楽しめていたのかなぁと、今になって思います。

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ですが、身体の中のがん細胞が、どんどん大きくなっていくような気がして、早くとってほしい、早く手術がしたい・・・毎日そう思っていました。

検査をしないことには、すぐに手術が出来るのか?どんな手術をするのか?手術前の治療が必要になるのか?なども分からないので、たくさんの検査と時間がかかるのは仕方ないのですが、もう自分の右胸が気持ち悪くて、汚らわしくて・・・。

検査が一通り終わり、幸い他の場所への転移は見つからず、手術で悪いところを取り除くということが決まりました。2月も下旬のことでした。

いざ手術の日にちが決まると、今度は別の恐怖が私を襲ってきました。あれだけ、「早く手術したい」と思っていたはずなのに、今度は「手術が怖い」が始まったのです。

手術が決まるまでは、1日1日がすごく長く感じたのに、カウントダウンが始まってからは、あっと言う間に時間が過ぎていった・・・そんな気がします。

不安になると、どうしてもネットで情報を集めてしまい、余計に不安になる・・・その繰り返しでした。やめようと思ってもやめられないんですよね。

先生からは、「とりあえず、風邪だけひかないように」とキツく言われていたので、うがい手洗いマスク着用を心がけました。その日が来て欲しいような、来て欲しくないような気持ちで、過ごしていました。

 

2018年10月6日 たゆかのたわごと

手術までの道のり①〜初めての診察〜

再検査の結果を聞いた1週間後、乳腺外科の専門医というか、乳がんの手術症例が多いからと勧められた病院に、「もっと詳しい」検査に行きました。

予約はしていたものの、1時間ぐらい待ったでしょうか。自分の受付番号が、掲示板に表示され、診察室に入りました。

先生「今回は大変だったね。ビックリしたでしょ?」

私「ビックリしました」

先生「ネットで色々調べて、不安になってるでしょ? 小林麻央さんのこともあったし」

ズバリを言い当てられました。

乳がんの診断を受けてから、ネットサーフィンにつぐサーフィンを繰り返し、色んな情報を手に入れては不安になる。不安だから、またネットの中を徘徊して、新しく得た情報で不安になる。その繰り返しでした。

先生「自分の人生振り返って、アレがダメだったのかな?とか、あれが原因でガンになったかなぁとか、考えた?」

私「はい、考えました」

先生「そんなわけないから。原因なんてないんだから、原因探さなくていいから。あなたのせいじゃないし、誰のせいでもないからね。今日が、自分の新しい誕生日だと思って。過去はないからね」

がんが分かってから、涙を流さない日はありませんでしたが、この時の涙は、それまでとは少し違ったように思います。

この1週間、お酒がいけなかったのか?とか、仕事ばっかりで不規則な生活がいけなかったのか?とか、色々と原因を考えました。ただ、どこにも答えはありませんでした。

そっか、原因はないんだ。考えなくていいんだ。

私を元気づける言葉だったのかもしれませんが、本当に救われました。この言葉があったから、今日までずっと先生を、病院を信頼し続けられたと思います。

もし、みなさんの周りに、原因を探して苦しんでいる方がいたら、「原因なんてないんだから、探さなくていいよ」と、声をかけてあげてください。

最後に、先生から、「ネットサーフィンは禁止だけど、どうしても色々調べたくなったら、この本なら読んでもいいよ」と言われた本を、載せておきます。あっ、宣伝ではありませんよ。

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2018年10月5日 たゆかのたわごと