キャリアカウンセラーを目指す乳がんサバイバーのブログ

会社員です。キャリアカウンセラーを夢見ながら、家庭菜園をしたり、のんびり暮らしています。もともとはバリキャリを気取って、仕事だけに打ち込んでいましたが、2018年の初めに乳がんの診断を受けました。病気のこと、仕事のこと、旅行のこと、夢のことを書き綴ります。

ホルモン療法①〜リュープリン注射1回目、タモキシフェン服用スタート〜

2018年4月26日、ホルモン療法がスタートしました。

タモキシフェンを毎日1錠、リュープリン注射をしばらくは月1回で、身体が慣れてきたら3ヶ月に1回。これを何年か続けて、様子を見ましょうということになりました。

初潮を迎えて以来、毎月きちんと生理が来ていたので、予想はしておりましたが、私は女性ホルモンが活発に出ているらしいです。それを抑えるたての薬と、女性ホルモンを食べようとするがん細胞の口を塞ぐ薬、だそうです。

ホルモン療法をすると、まずは生理が止まるという説明を受けました。生理が止まるということは・・・。

まあ、それは乳がんにならなかったとしても、独身生活を謳歌していた私には、縁がなかったと思います。でも、説明をしてくれる薬剤師さんが、すごく気を遣ってくれるので、申し訳ない気持ちになりました。

リュープリン注射は、皮下脂肪の下に打ちます。なので、ほとんどの場合がお腹ですが、場合によってはお尻や二の腕のこともあるとか。

私は、下腹にたっぷり皮下脂肪があるので(笑)、迷うことなくお腹に打ってもらうことに。

モギュッとお腹の肉をつままれて、恥ずかしいっ!と思っているうちに、注射は終了。注射慣れしてきているのか、恐怖も痛みも感じませんでした。

それより何より、ズボラな自分が、毎日忘れずに薬を飲めるのか?が心配です。先生に、「飲み忘れたらどうなりますか?」と聞いても、「飲み忘れないで」としか答えてもらえません(笑)

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とりあえず、「あれ?飲んだっけ?」を防止するために、薬のシートに日付を書いてみることに。果たして、どうなることやら。


2018年7月5日 たゆかのたわごと

秋のプチ旅行〜ラグーナテンボスの花火〜

タラゴラグーナの夜は、ホテルラグーナヒルに宿泊しました。


近くのラグーナテンボスでは、イルミネーションやプロジェクションマッピングのイベントをやっていましたが、そんな体力はなく(笑)部屋からの夜景を楽しみました。

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部屋でゴロゴロしていると、外から大きな音がしたので、ベランダに出てみると花火が!

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花火自体は小規模ですが、水面に反射して、とっても綺麗!

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夏の花火とはまた違う、澄んだ空気の中の花火も、とっても素敵でした。


2018年11月4日 たゆかのたわごと

秋のプチ旅行〜蒲郡 タルゴラグーナ〜

今日は、近場の蒲郡まで旅行に来ています。目的は、タルゴラグーナのタラソプール。

海水の温水プールみたいな、巨大ジャグジーのようなところで、6年前に母親がリウマチになってから、リハビリにかこつけて、年に2回ぐらいのペースで来ていました。

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私の術後に来るのは初めてで、ちょっとドキドキ。広いプールの場所によって、ジャグジーの勢いが違うのですが、あまり強い水圧は良くないかも・・・と思いつつ、無理ならやめればいいか、ぐらいの気持ちで、やって来ました。

地中海をイメージしているので、駐車場にはオリーブの木が、植えられています。美味しそう(笑)

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プールなので、当然水着なのですが、私はラッシュガードを着用。ですが、スポーツタイプの水着や、袖があるタイプのものを着ていたり、ラッシュガード着用の方もいるので、悪目立ちすることもありません。だから、来れたというのもあります。

そして、こちらのタラソプールは、泳ぐことまできますが、基本的には歩いたり、座ったりしていればOK。水圧で身体をほぐしていく、という感じです。背中や腰のコリがほぐれ、むくみも取れていくのが、自分でも分かります。

右腕や胸、お腹(リュープリンの塊がある)にだけ、過度な圧力が当たらないように気をつければ、何の問題もありませんでした。

乳がんになる前は、ゴルフとテニスをやっていたのですが、もうそれはしばらく出来ないので、出来ることがあるのは、とても嬉しいです。

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最後は、蒲郡の夕暮れ。すっかり陽が短くなりました。秋から冬へ、少しずつ変わっていくのを、感じる季節になりました。


2018年11月3日 たゆかのたわごと

痛いから動かせないのか、動かさないから痛いのか

術後3ヶ月ぐらいは、右腕というか右側の痛みに悩まされました。

チクチク刺すような痛み(たくさんの一寸法師が刺してくる感じ、と表現していました)と、腕がボンボンに腫れているような感覚が、ずーっと続いていました。

薬や注射、通院が長く続くことは覚悟していましたが、まさかこの痛みとも一生付き合うの?聞いてないんだけど・・・と、思っていました。

腕を骨折したときのような格好(写真参照)だと痛みが和らぐので、起きている時は、ずーっとこの体勢をしていました。

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家族から「腕、曲げてるの変だよ」と言われたり周りから「腕。ケガしてるの?」と言われたりしましたが、このスタイルじゃないと、痛みが酷くなるんです。

母親から「動かさないから痛いのよ。動かしなさいよ」と言われ、「痛いの!痛いから動かさないの!」と言い返し、毎日のように小競り合いをしていました。

最終的には「そんなに痛いなら、先生に言って治してもらいなさい!」という事になり、2度目の外来(ホルモン療法初日)に、先生に相談しました。

私「先生、右腕がチクチク痛いし、すっごい腫れてる気がするんです。腫れてないけど、腫れてる感じなんです」

先生「そんな大事に抱えてないで、動かしたら治るわ。腕を甘やかしとるんじゃない?」

母親から言われても聞く耳を持ちませんでしたが、先生が言うならと、その日から少しずつ、右腕を動かしました。

歩く時も、骨折スタイルではなく、前後に揺らしたり、お風呂で曲げ伸ばしをしたり、バンザイ運動をしたり・・・。

最初は、痛みや痺れとの戦いでしたが、1ヶ月ほどすると、「あれ?最近あんまり痛くないかも」と。痛くないから動かせるし、動かしていると痛みも和らいでいる(気がする)。

母親は、「私の言うことは聞かなかったのに!」とスネていましたが(笑)、自分の身体のことなので、自分が納得しないことには、行動に移せないんですよね。

今でも、調子に乗って動かして、次の日に痛みが出てしまい、猛烈に後悔することもありますが、身体を適度に甘やかし、時には厳しくしながら、やっていこうと思います。


2018年11月2日 たゆかのたわごと

私、乳がんだったんです〜職場への報告〜

手術のために仕事を休むことになった私ですが、同じ部署のメンバー以外には、休むことすら伝えずに、休みに突入をしました。

実際に、いつから休むか決まってからは、業務の引き継ぎに追われていて、そんな余裕がなかったのも原因ですが、あまり色々な人に知られたくない(影で色々言われたくない)という気持ちもありました。

そんなわけで、私が復帰してきた時は、休んでいたことに触れていいのか?休みの理由を聞いていいのか? と、みんなが遠慮しながら話しかけてきてくれました。

それが、なんだか可笑しくて、「理由、教えましょか? ビックリしますよ〜」なんて脅しながら、仲の良い人にだけ、本当のことを告白しました。

ちゃんと、「ビックリしますよ〜」と前振りしたにも関わらず、みんなめちゃめちゃ驚いてました。病名にもそこそこ驚いてましたが、1ヶ月で復帰してきて、なんだか普通に会社にいることに、1番ビックリしてました。「もっと休みなよ〜」と(笑)

私の会社は、約8割が女性です。今も乳がん治療中の方もいますし、いったんの治療を卒業された方、それが原因で亡くなってしまった方もいます。なので、普通の会社と比べると、「乳がん」が身近な存在なのかもしれません。なので、あまり驚かなかったのかなぁ?なんて思います。

でも実際に、とても身近な病気なんですよね。私がそうだったように、いつ誰にやってくるか分かりませんが、いつ誰がなってもおかしくない。

社内で、病気のことが知れ渡るのが、少し怖かったのですが、みんな口を堅くしてくれたのか、変に噂になることもありませんでした。これは本当に良かったです。

そして私の告白で「私もちゃんと、再検査に行こう」とか「毎年、乳がん検診受けよう」と言ってくれる人が多くて、それもなんだか嬉しく思いました。

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何で私が乳がんになったのか?ならなければいけなかったのか?今でも思います。

でも、なった人だから分かること、伝えられることもあるのかなぁ、なんて思えるようになってきました。ちょっとだけ、成長できたかもしれません。


2018年11月1日 たゆかのたわごと

仕事復帰初日〜1ヶ月ぶりの通勤、仕事〜

2018年4月5日、1ヶ月ぶりの職場復帰をしました。

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満員電車で、腕や胸を押されるのが嫌だったので、かなり余裕を持って地元の駅に到着。快速、準急、急行、普通などの種類があるので、電車によって混雑状況が異なります。空いてるのが来たら乗ろう、という計画でした。

計画通り、それほど混雑していない電車に乗ったものの、周りの人やカバンが、私の体に当たります。お互い様なのですが、やはり押されたりすると痛くて。

そして、電車が揺れるたびに、足元がフラフラ。自分から、周りの人にぶつかったりもしました。本当に迷惑な人だったと思います。体力?体幹?とにかく弱ってます・・・。

「通勤って、こんなに大変だっけ?」と半ベソをかきながら、職場に到着しました。

余裕を持って家を出すぎたのか、定時の40分も前に出社してしまい、部署のメンバーは誰も出勤していませんでした(笑)

久しぶりの自席に座り、パソコンを立ち上げたり、そんな今まで通りの朝を噛み締めていると、部署のメンバーが1人、また1人とやってきました。

休み中から決めていたのですが、私は「恥ずかしながら、帰ってまいりました!」と挨拶。みんなから、「横井さん、おかえりなさい、よくぞご無事で(笑)」と、教科書通りの答。

そんな今まで通りのくだらないやりとりに、私だけ感動していたと思います。

復帰初日は、1ヶ月分のメールチェック、電話対応、他部署の方からの「なんで休んでたの?」の事情聴取で終わりました。仕事らしい仕事は、何にもしていません。

それなのに、ものすっごく疲れました!特に午後からは、眠いというか、体を起こしていられないような状態でした。

夜は、療養中より早い20時30分に就寝。今までなら、まだ会社で仕事をしていた時間です。明日以降、どうなることやら・・・という不安と、今まで通りの色んなことが嬉しい気持ちが入り混じった、復帰初日でした。


2018年10月31日 たゆかのたわごと

自宅療養の日々⑥〜仕事復帰が決まりました〜

4月2日の外来で、リュープリン注射とタモキシフェンの服用で、様子を見ましょうということになりました。仕事も「したかったらすればいい」と言われたので(笑)、4月5日からの職場復帰が決まりました。

というよりも、4月末で退職する社員がいたので、その子からの引き継ぎのため、遅くても4月半ばまでには復帰をしてほしい、復帰しなければという状態だったんですよね。

仕事を休むことが決まった時は、周りから「復帰したくてウズウズするかもよ〜」なんて言われていて、自分でもそう思うんだろうなぁ、と思っていましたが、いざ復帰が決まると、不安しかありません。

療養中は、家族と仲の良い友達としか会っていなかったので、すごく気を遣ってもらっていたし、フォローもしてもらっていたんです。だから、とっても楽に過ごせていました。

でも、職場復帰となると、そういうわけにもいきません。

満員電車を乗り継いで会社に行き、8時間は他人と過ごし、お給料分は何かしらの成果を出さなければならない。営業職なので、外に出てお客さんとも話さなければならない。

しかも、私は同じ部署のメンバーにしか「休む」ことを伝えていませんでした。他部署の人は、休む理由はおろか、休むことも知らないので、急にいなくなったことになります。

隣の部署の人達は、私の不在をどう思っているのか?何て説明しようか?もしかして、みんな乳がんだって知ってたらどうしよう・・・。

しばらく使っていなかった脳を、フル回転して悩みました。

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何よりの不安は、やはり体力というか身体の面。腕が痺れるような、小さい針でチクチクさされるような感覚が治らず、ずっと肘を曲げて、骨折した人のような格好をしていました。

こんなんで、仕事できるのか?でもやらなきゃ、いかなきゃ。ずっとその繰り返しでした。

母親から、「もう少し休めば?」と言われても、「復帰しなきゃいけないの!」と言ってケンカになったり、かと言えば「自信がない」と、メソメソしたり。

ほんの3日間ですが、大変な3日間でした。


2018年10月30日 たゆかのたわごと