何で私が乳がんに!?〜悲しみ尽くした日々〜
話は少し戻って、乳がんが分かった直後の話です。
今でこそ、前向きな気持ちが出てきました私ですが、乳がん分かった直後は、毎日泣いて怒ってを繰り返していました。
◯人に1人はがんになる、女性の◯人に1人は乳がんになる、そういったことは見聞きしていましたが、「どうして、自分がその1人に入らなければいけないのか?」と思っていました。
電車に乗っていても、街を歩いていても、周りの人全てが憎いんです。「どうしてこの人たちはがんじゃなくて(そんなこと分からないですが)、私はがんなんだ?」とか。
道で肩がぶつかった相手にも、「この人は、ぶつかっても謝らない悪い人なのに、どうしてがんにならないんだ?」とか。
毎晩毎晩、泣きました。泣き疲れて寝て起きて、「がんになったことが、夢だったかも」と思って携帯を見て、乳がんに関する検索結果の表示を見て、「現実だったのか」と、また泣いていました。
私は、お酒は飲んでいましたが、タバコは吸ったことがありません。お昼は持参の手作り弁当でしたし、夕ご飯も自炊をしていました。ジムにも通っていましたし、趣味は山登りやゴルフでした。
健康診断の結果も、ほとんどA。がんが分かった年に受けた胃カメラも、「ツルツルで綺麗な胃ですね」と、褒められたぐらいです。
そんな私が、どうして!? なんで!?
もうその連続でした。
がんになるなら、私よりもあの人でしょ!?
そんな酷いことを、平気で思っていました。自分が世界で1番不幸で、1番可哀想だと、本気で思っていたんですよね。
そんな私が、いつから現実を現実として、受け止められるようになったのか?
今思い返しても、分かりません(笑)
もしかしたら、人間にはもともとそんな力が備わっているのかもしれません。辛いことがあっても、無理して前向きにならなくても、時間が経てば、きちんと消化していける力が。
2018年10月17日 たゆかのたわごと
治療中のつぶやき①〜朝から母とのケンカ〜
今日は朝から、母親とケンカをしました。ケンカと言うより、私が一方的に怒って、当たってしまっただけですが・・・。
発端は、私の服装を見た私に、「上着は?そんな格好おかしいよ」と言われたこと。ただそれだけで、プッチーン💢
先週、3ヶ月分のリュープリン注射を打ったせいさ、しばらくなかった副作用が出現し、気持ちは悪いし、寝つきは悪いし、夜中に起きちゃうし、ホットフラッシュはあるしで、とにかく不調で。
たぶん、「そんな格好だと風邪ひくから、上着持っていきなさい」だったら、大丈夫だったんです。「おかしいよ」という表現が、気に入らなかったんです。
「うるさいっ!何がおかしいんだ!」と声を荒げ、家を飛び出してきてしまいました。泣きながら、駅まで自転車。もう、メチャクチャですね。
感情のコントロールが出来る日、出来ない日があって、周りの人に迷惑かけっぱなしです。はあ、自己嫌悪。そして、自分の感情についていけず、疲れてしまいます。
今日は会社ではなく、外部の講習会なので、少し気が楽なのが、唯一の救いです。会社のお金で受けているので申し訳ないですが、今日の講習は身にならない予感。
あと何年も続く治療、うまく付き合えるようになりたいです。
2018年10月17日 たゆかのたわごと
退院までの道のり①〜手術直後とその夜〜
「終わりましたよ〜。終わりましたよ〜。終わりましたよ〜」
せっかく寝てるのに・・・と目を覚ましたら、なんと手術室だった!というぐらい、 熟睡している間に手術は終わっていました。麻酔って、スゴイんですね。
起きて意識が確認されるとすぐ、喉に入っていたチューブを抜かれました。「痛いし、オエっとなります」と聞いていましたが、本当に痛くてオエっとなりました。
意識はあるとはいえ、ボーっとしたまどろみの中、ニョキッと先生の顔が飛び出してきました。「終わったよ〜。大丈夫?予定通りだったからね。今から病室戻るからね」と話しかけられ、ようやく手術していたことを、思い出しました。
行きは歩いた道のりを、今度はベッドに寝た状態で戻ります。まだ、体が動かないので、見えるのは天井だけ。病室の入り口で母親と再会できたので、手を振って無事を伝えました。
しばらくは、寝たり起きたりを繰り返していており、父親も様子を見に来てくれましたが、あまりハッキリ覚えていません。
夕方近くになって、だいぶ意識がハッキリしてきました。点滴と排尿用の管がついているので、自由に動くことが出来ず、意識が戻るにつれて、段々と苦痛が・・・。
17時ごろ、何時間ぶりかの水を飲んだのですが、もう本当に美味しくて美味しくて。1時間おきに、看護師さんが来る度に、飲ませてもらいました。
そして、この日の夜が地獄でした。
夜になってから、頭がガンガンし始めました。早い段階で、看護師さんに伝えれば良かったのですが、時間が経てば治るかと思い、我慢してしまったのが、いけませんでした。
もうこれ以上は我慢できないぐらい、頭が割れそうなぐらい痛み始めたので、ナースコールを押しました。
頭が痛いので、薬を飲みたいと伝えましたが、待てど暮らせど薬が来ない・・・。この間が、本当に辛かったです。いつまでこの苦痛に耐えればいいのかと、泣きながら薬を待ちました。
排尿用の管、点滴などのチューブが体についているのを見ると、自分は病気なんだと思い知らされて、気持ちが沈みます。加えて体も思うように動かない、寝返りすら自分でうてない。色んなことに絶望を感じて、メソメソ泣いていました。
長い長い夜でした。
2018年10月16日 10月たゆかのたわごと
仕事人間からの大変身〜乳がんという経験〜
乳がんなる前の私は、とにかくめちゃくちゃ働いていました。朝から晩まで仕事のことを考えていました。
今の会社には中途採用で入り、かれこれ12年が経ち、営業の仕事をしています。朝は7時30分頃には出勤し、日中はほぼ外回り、定時後に事務処理をして、帰宅は21時。仕事が終わらなければ、土日も当然会社に行く、という生活でした。
もっと過酷な働き方をしている方もいるとは思いますが、こうして客観的に見ると、働きすぎでしたね(笑)
でも、当時の私はこれで良かったんです。仕事が好きだったですし、頑張ってる自分も、頑張れてる自分も好きでした。
お客さんから、100求められることに120で返したい!そんな気持ちで仕事をしていたように思います。
成果を上げて評価もされたかったし、心のどこかで、長時間働くこと、仕事に時間を捧げることを、誇りに思っていたのかもしれません。
そんな私が、乳がんになりました。
1ヶ月の休職期間を経て、職場に復帰。それだけの期間で戻れたことに、幸せを感じるよりも、「これからやっていけるのか?」という不安が拭えませんでした。
というのも、休職期間に私の後任がいたわけでなく、上司が一時的に代役を務めてくれていただけだったので、復帰後は復帰前と同じ仕事が、待っていたのです。
復帰直後は、体力もかなり落ちていましたし、ホルモン療法がスタートしてからは、乗り物酔いと二日酔いを混ぜたのような、そんな気持ち悪さが続きました。
心のどこかで、今まで通りに出来るかも、なんて甘いことを考えいたのですが、すぐに無理だと分かりました。
定時退社の日が続き、通院で休むこともありました。午前中は特に体調が悪く、仕事が思うように捗らなかったり、お客さんの話が頭に入ってこなかったり・・・。辛かったです。
お客さんには、休む理由を伝えていなかったので、「最近、働き悪いな」と思われていないか心配で、「わたし、乳がんなんです。サボってるわけでも、やる気がないわけでもないんです!」と、言ってしまいたくなることもありました。
そんな日を過ごしているうちに、気がついたんですよね。
「あれ?わたし、まあまあ出来てるじゃん」
当然、夜遅くまでは働いていないので、夕方以降にきた依頼の対応は、翌日になります。週末であれば、翌週になります。
でも、それでも何ともなかったんです。お客さんからクレームになることもないし、売り上げが落ちているということもありません。
じゃあ、今までのガムシャラは何だったんだろう?そう思いますよね。わたしも思いました。
え?もしかして無駄だった?
いや、そうは思いたくない(笑)1つだけ思い当たるのは、休んでいる間にも、私はたくさんの経験をしたということ。普通に働いていたら、考えもしないことを考え、人の優しさに触れ、辛い思いもしたし、嬉しい思いもしました。
その経験が、私を成長させてくれたのかな?と、思います。その成長があるからこそ、少しぐらい勤務時間が短くても、休みが多くても、「なんとかなるわたし」になれたのかな?と思います。
どんだけ前向きなのかと、笑われてしまいそうですね。
2018年10月15日 たゆかのたわごと
秋のプチ旅行〜東京に行ってきました〜
少し前ですが、東京に旅行に行きました。兄夫婦と会うことを口実に、3連休を使って東京を満喫してきました。
まずは、品川アクアパークへ。どうしてもイルカショーが見たかったのですが、到着したのがギリギリの時間で、「かなり濡れます」席しか空いていませんでした。
迷ったのですが、ポンチョが100円で売っていたので、それを購入して「かなり濡れます」席に。
イルカちゃんは、本当に頭が良くて、運動神経もよくて、ビックリしました。さすが都会のイルカです。
初日は、移動もあったので、行ったのはアクアパークだけでしたが、とっても楽しめました。
翌日は、予約していた川下りへ。電車を乗り継いで、日本橋まで向かいました。
私が参加したのは、日本橋クルーズの「お江戸90分コース」。日本橋川から隅田川に出て、最後はレインボーブリッジをくぐります。
ガイドの方がいるので、東京の歴史とこれからがよく分かり、あっという間の90分でした。
そして最終日は、母親のリクエストで明治神宮へ。都会の真ん中に、こんな場所があることに感激してしまいます。たくさんパワーを、もらいました。
この日はとっても天気がよく、暑いぐらいでした。それにしても綺麗な空です。
新旧の東京を、ゆったり楽しむことができた、よい旅でした。
2018年10月15日 たゆかのたわごと
手術までの道のり⑤〜手術当日の朝〜
いよいよ、手術の日がやってきました。2018年3月7日です。夜通し寝たり起きたりだったのに、いざ起床時間になると眠くなるという、ありがちなパターンでした。
6時起床、9時に病室を出発、9時30分から手術というスケジュールでしたが、この日は朝ごはんも抜きなので、何もすることがなく、余計に高まる緊張。
7時30分ごろ、先生が来てくれて、「寝れんかったでしょ? 手術が始まったら、寝とればいいから。まな板の上の鯉になって、こっちに任せて」と、またまた有難いお言葉。
私の担当の先生は、ちょっとぶっきらぼうですが、医療のお仕事に誇りとやる気を持たれているのが伝わってくる、とても頼れる方で、鯉になってもいいやと、思うことができました。
しばらくすると母親が来てくれました。マスクとメガネで顔が隠れていましたが、「昨日泣いたんだな」というのが分かる、腫れぼったい目。それを見た途端、私も泣きそうになりましたが、寸前のところで我慢。私の涙腺も、だいぶ強くなりました。
時間が経つのが遅いような、ドンドン時計の針が進んでいくような、そんな不思議な感覚でした。
9時少し前、手術担当の看護師さんが部屋にやってきて、手術着に着替えをしました。着替えるとすぐ、「そろそろ行きますね。お母様も一緒に行きますか?」とお呼びがかかり、母親も「せっかくだから見たい」とのことで、ついてきてくれることになりました。
とてもビックリしたのですが、行きは「徒歩」なんですね。てっきり寝たまま運んでもらえると思っていたのですが、まだ歩けるから歩いてください、とのこと。
手術室までは、他の患者さんとも一緒だったので、終始無言でした。言いようのない不安、恐怖、緊張で、何故だか涙が出てきます。でも、必死で我慢。今、私が泣いたら、母親も泣いてしまう・・・。
手術室の入り口で、母親と別れた途端、涙がポロポロこぼれてきました。看護師さんが、「ずっと我慢してましたんですよね、気づかなくてすみません」と優しく背中をさすってくれて、その優しさにまた涙。
泣いたまま手術台に乗り、すぐに麻酔の準備が始まりました。もう逃げられないんだなぁ、とか考えていると「麻酔入りますよ〜。少し冷たく感じます」との声。血管に冷たい液体が流れてきたなぁと思ったら・・・💤💤💤
次に意識が戻った時には、全てが終わった後でした。
2018年10月13日 たゆかのたわごと
秋のプチ旅行〜ひるがの高原 牧歌の里〜
色んなところに出かけるのも楽しいですが、最近はお気に入りの観光地に、色んな季節に出かけることが、多くなってきました。
そんなお気に入りのひとつが、岐阜県にある牧歌の里。東海エリアでは、有名ですよね。毎シーズン行くので、今回ついに年パスを買いました!
手前にある、ムラサキ色のハリネズミみたいな植物は「コキア」。夏場は綺麗なグリーンなのですが、秋になるにつれて少しずつ色づきます。これを干すと、ほうきとして使えるので、「ほうき草」とも呼ばれています。
個人的には、グリーンのときのコキアが、キッコロみたいで好きです(懐かしい)。
この日は、台風が過ぎ去った後で、見事な秋晴れ。夏とはまた違った青空が、とっても綺麗でした。
牧歌の里は、徒歩でぐるっと散策しても1時間程度。それほど体の負担になりません。歩くのが大変な場合は、園内を周るトレインもあります。このトレイン、年パスを持っていると無料!お得でした。
園内でもバーベキューも楽しめ、美味しいパン屋さんのサンドウィッチもオススメですが、この日は少し足を伸ばして、ひるがのサービスエリア隣接の「クックラひるがの」へ。
ここでオススメが、「エバス」というレストラン。ちょっとお高いですが、飛騨牛100%のハンバーグやステーキ御膳、カニクリームコロッケなど、何を食べてもハズレなし!
手軽な秋の行楽、高山や白川郷に行くついでの立ち寄り地に、オススメです。
2018年10月11日 たゆかのたわごと